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『オープンダイアローグとは何か』 斎藤環著+訳


「オープンダイアローグ」直訳してしまえば、開かれた会話……。

本文中から、なるべく誤解がないように、その解説に当たりそうな部分を抜粋してみると

……どうやら統合失調症に対する家族療法的なアプローチらしい。(p 9)

……なんでも対話の力で、薬物をほとんど使わずに統合失調症を治すというのです。(p 9)

……オープンダイアローグは、ときに「急性期精神病における開かれた対話によるアプローチOpen Dialogues Approach in Acute Psychosis」と呼ばれるように、主たる治療対象は発症初期の精神病とされています。(p 19)

しかし、本文中にあるように、治療の対象は精神病(統合失調症)に限定されていません。うつ病、PTSD、家庭内暴力など様々な精神疾患や問題に応用されているようです。

本の初めのほうに書かれている治療の流れを非常におおかまかにまとめてみます。

①相談があったら即座にチームで会いに行く:患者さんや家族から、相談依頼の連絡があったら、医療チームを招集し、24時間以内に本人を含めた初回ミーティングを行う。

②本人なしでは何も決めない:薬物治療や入院の是非を含む、治療に関するあらゆる決定は、本人を含むチームの全員が出席した上でなされる。

③ミーティングの最後にファシリテーター(調整役)がまとめを行う。:結果として、薬物治療や入院が選択されることもあり得る。しかし、それは上下の関係の中でなされる決定であってはならない。調整役は話し合いの方向づけはしない。また、何も決まらないこともあり得る。その時は「何も決まらなかったこと」が確認される。

④リフレクティング(自分の目の前で自分の噂話をされるような状況を作り、お互いに感じたことの確認を行うこと):対話の中で、専門家同士での会話を家族や本人が観察したり、家族の会話を専門家が観察したりする機会を、お互いに持つことができる。

下手な要約で概要すらつかめないかもしれませんが、とにかくここでは、「重い」精神病のとき、現在の日本の医療システムでとられているような、本人のいないところで治療方針を決定してしまうようなことはないようです。

これは「治療のかたち」になるんだろうか?……というのが、私の最初の疑問でした。

たしかに、急性期を脱した後の治療においては、治療方針の決定に本人を含めた関係者全員との対話が欠かせません。しかし、それを最初から行うとなると、理解や判断力が著しく低下している状態を示す「(病態が)重い」という評価そのものとこの治療方針の選択は矛盾しないのだろうか?

最初から対話を導入することによって、本人や治療そのものを混乱させてしまうのは適切でないのではないか? 

今まで経験した例を思い浮かべながら、そんな感想が浮かびました。

ただ、現実はそんな私の思い込みや感想のようなものをはるかに越えてしまっているようです。

この治療法を導入したフィンランドの西ラップランド地方では、統合失調症の入院期間は平均19日短縮され、この治療で、服薬を必要とした患者は全体の35%、2年間の予後調査でも82%は症状の再発がないか、ごく軽微なものにとどまっていたというエビデンス(証拠)が得られています。(本書のp11より)

もちろん、こうした単体の調査や研究のエビデンスレベル(どれくらいその研究が証拠とするのに足りるのか)はどうかという疑問はあり得ると思われますが、さらに多くの結果の集積がなされており、すでにフィンランドでは公的な医療サービスに組み込まれているようです。

どうやら状況としては「本当に効くんだろうか?」や「そんなこと可能なんだろうか?」ではなく、「どうしてこんなに効くんだろう?(しかもトータルでは低コスト)」ということらしいのです。

本当に新しいことというのは、別に先進的な技術や薬剤開発から来るのではなく、人間同士の関わりのあり方から生じるのかもしれないと気付かされた本でした。

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